コンプリート・シャーロック・ホームズ
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この放浪者があと30分起きていたら、奇妙な光景が目に入っただろう。アルカリの大地の極限の端の彼方に、小さな土ぼこりが巻き上がっていた。最初はごく僅かで、遠くのもやとほとんど区別がつかなかった。しかし徐々に高く広く、しっかりとして輪郭が明瞭な雲となるまでに成長した。この雲はどんどんと大きさを増して行き、動いている生物の大群から沸き起ったものに違いない事がはっきりしてきた。もっと肥沃な地であれば、これを見る者は草原を食むバイソンの大群が近づきつつあるという結論に達しただろう。この乾ききった荒野では、明らかにそんなことはありえなかった。粉塵の渦が、二人の放浪者が休んでいるこの人里はなれた断崖に近づくにつれ、キャンバス地の幌馬車と、武装した御者の姿が、もやの中から現れ始めた。そして突然現れたものは、西部に向かう巨大なキャラバン隊だと分かった。しかしなんと言うキャラバン隊だ!その先頭が山のふもとに到着した時、最後尾はまだ水平線に姿を現していなかった。巨大な平原を越えて伸びるのは、どこまでも連なる、四輪馬車、二輪馬車、馬にまたがった男達、徒歩の男達の並びだ。数え切れないほどの女性が荷物を背によろよろ歩き、そして子供は荷馬車の横をよちよち歩くか白い幌の下から顔をのぞかせた。これは明らかに普通の移住者の一団ではなかった。むしろ環境の圧力からやむを得ず新天地を探している放浪の民だった。車輪の軋みや馬のいななきと共に、非常に多くの人間から出る、混乱したガタガタ、ゴトゴト言う音が、澄んだ大気に響き渡った。いかにこの音がうるさくても、彼らの頭上にいる疲れた放浪者を目覚めさせるには十分ではなかった。

隊列の先頭には、厳しい、意志が堅そうな顔をして馬に乗った男が、十人以上いた。彼らは、黒っぽい手織りの服をまとい、ライフルで武装していた。断崖の麓に来ると彼らは立ち止まり、簡単な会議を行った。

「右に行くと井戸がある、兄弟」一人が言った。白髪混じりの髪で、綺麗に髭を剃り、口をしっかりと結んだ男だった。

「ブランコ山脈の右に行けば、・・・リオ・グランデに着くだろう」別の男が言った。

「水の心配はない」三番目の男が言った。「岩から水を引き出すことができた神が、自ら選んだ民をここで見捨てようか」

「アーメン!アーメン!」全員が応えた。

彼らが旅を続けようとした時、一番若く鋭い目をした男が驚きの叫びを上げ、頭上のごつごつした岩山を指差した。その頂きに、後ろの灰色の岩を背にしてくっきりと明るく、ピンク色の小さいものがはためいていた。これを見て、一人の戦闘員が馬の手綱を引き、銃を手にした。先導者を支援するため、馬に乗った男達が新たに駆け寄った。「インディアンだ」という言葉が皆の口に上がった。

「ここにはインディアンは一人もいないはずだ」指揮をとっているらしい老人が言った。「ポニー族の土地を過ぎた。山脈を越えるまでは他の種族はいないが」

「行って見て来ようか、スタンガーソン兄弟?」隊列の一人が尋ねた。

「俺も」「俺も」沢山の声がした。

「馬は下に置いていけ。我々はここで待つ」老人は答えた。その瞬間、若い男達は馬を下り、手綱を縛って、切り立った斜面を彼らの興味を引いた物体に向かって登っていた。彼らは熟練の偵察隊の自信と器用さで素早く静かに進んだ。下の平原から見上げると、彼らは岩から岩に身軽に飛び移り、遂には彼らの体の線が空を背景に突き出て見えた。最初に警告を発した青年が先頭に立っていた。それを追いかけていた男たちは、この青年が驚きをこらえきれないように、突然手を上げるのを目にした。追いついてその光景を見た瞬間、彼らも同じような感慨にとらわれた。

不毛な丘に囲まれた小さな高台に、巨大な丸石があり、この巨石にもたれて、背の高い男が横たわっていた。髭は長く厳しい顔つきだったが極端にやせ細っていた。穏やかな顔で規則的な呼吸をしていたので、彼はぐっすり眠っていると分かった。男の横に子供が寝ていた。子供は、男の茶色い筋張った首に白い丸々とした手を回し、金髪の頭を男のベルベットの上着の胸に寝かせていた。少女の薔薇のような唇は開かれており、雪のように白い綺麗な歯並びを覗かせて、子供っぽい顔に陽気な笑みが広がっていた。少女の肉付きの良い小さな足の先には、白い靴下と留め金がピカピカの綺麗な靴が履かされていて、男の長い皺だらけの足とはおかしなほど対称的だった。この奇妙な二人連れの頭上の岩棚には、厳粛な面持ちのヒメコンドルがとまっていたが、人がやって来るのを見て、騒々しい失望の叫びを発して、不機嫌そうに羽ばたいて行った。