コンプリート・シャーロック・ホームズ
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「ああ、ありがとうございます!」彼女は言った。「いま、いちばん怖いのは、正体のわからない不安なんです。だから、私が気にしていることも、ほんとうに小さなことなんです。はたから見ればバカバカしいと思うことかもしれません。彼でさえ・・・、ほかの誰でもない、まっさきに、すがって相談した彼でさえ、私の言うことをぜんぶ、神経質な女のたわごとだと思っているのです。口に出して言ったわけではありません。でも、なだめるような返答とそらした目がそう言っています。けれども、ホームズさん、ホームズさんは、人間の心にある悪を、奥の奥まで見通すことができる方だと聞きました。私のいる、この恐ろしい状況を、どうしたら切り抜けられるか、教えていただけそうなのは、ホームズさんだけなのです」

「じっくりとお話をうかがいましょう」

「私はヘレン・ストーナーといいます。今、継父と住んでいます。継父はイングランドで最も由緒あるサクソン家の一つ、サリー州の西の境にあるストーク・モランのロイロット家最後の家督人になります」

ホームズはうなずいて「その名前はよく知っています」と言った。

「継父の一族は、かつてイングランドで一番裕福でした。領地の広さは、北はバークシャー、西はハンプシャーの州境を越えるほどでした。しかし、18世紀になると、自堕落で浪費的な性格の継承者が四代続き、最後は摂政時代に賭博に走った継承者によって、一族は完全に落ちぶれてしまいました。数エーカーの土地と200年前の家以外には、何も残りませんでした。それも多額の借金の抵当に入れられていました。最後の領主は、そこで貧乏貴族としてだらだらと最低の生活をしていました。しかし彼の一人息子、私の継父は、新しい状況に対応しなければならないと考え、親類からお金を借り、医学の学位を取得してカルカッタに行きました。そこで、専門知識と押しの強い性格を生かして、大勢の患者を診察していました。ところが、家に何回か泥棒が入ったことに怒り狂い、インド人執事を殴り殺してしまいました。なんとか死刑は免れましたが、長い懲役の後、継父は世をすねた失意の人間としてイギリスに戻って来ました」

「ロイロット博士はインド在住時、私の母ストーナー夫人と結婚しました。母は、その前にベンガル砲兵隊のストーナー少将と結婚していましたが、若くして未亡人となっていたのです。母が再婚したとき、私と双子の姉ジュリアはまだ二歳でした。母は、年に千ポンドの運用益がある巨額の動産を持っていました。まだ義父のお金で生活していたころ、母は全額を死後「ロイロット医師」に譲ると遺言しました。ただし、わたしたち娘が結婚する際には、それぞれに規定の年額を分与するという条項がついていました。イギリスに戻ってしばらくして、母は亡くなりました。八年前にクルー近くで起きた列車事故が原因です。その後、継父はロンドンで開業医として自立する希望を捨て、ストーク・モランの先祖代々の古い家に戻って生活を始めました。母が残したお金は、生活費として十分でしたので、問題なく幸せな暮らしができるはずでした」

「しかし、この頃から継父に恐ろしい変化が起きました。近所の人たちは最初はストーク・モランのロイロットが旧家に戻って来たのを見てとても喜んでいたのですが、継父は彼らと交際したり友人を作ったりする代わりに、家にひきこもりました。たまに外出しても、道で出会う人、だれかれなしに激しい言い合いをするのです。正気を疑うような暴力衝動は、遺伝性だと思います。ですが、継父は、熱帯地方に長く住んでいたために、それがますます悪化したと私は思っています。みっともない喧嘩がたえず、警察裁判にまで持ち込まれた事件を2回起こしました。とうとう継父は村の恐怖となり、彼の姿を見ると村人は逃げ出しました。継父はものすごい腕力があり、怒りをこらえることがまったくできなかったからです」

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「先週、継父は村の鍛冶屋を手すり越しに川に投げ込んだので、私は、手持ちのお金を全部支払って、なんとか示談にすることができました。継父は放浪のジプシー以外には友人がいません。そしてこのジプシーに、一族の地所として最後に残った数エーカーのイバラが茂る土地に野営するのを許しています。そのお返しに継父はジプシーのテントでもてなしを受け、何週間も一緒に放浪したりしています。継父はインドの取引先に送らせた動物もお気に入りで、いま、チーターとヒヒを飼っています。この二頭は敷地を自由に歩き回り、飼い主と同じように村人は震え上がっています」

「ここまでの話からご想像いただけるように、姉のジュリアと私は、なにひとつ楽しいことのない生活でした。使用人もいつかず、どんな家事も、ずっと二人でこなしてきました。姉は死んだとき、まだ30歳でしたが、髪には今の私と同じように、もう白いものが出始めていました」

「それでは、お姉さんは亡くなったのですね?」