コンプリート・シャーロック・ホームズ
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ダグラス夫人はすぐに答えず、じっと考え込んだ。「はい」彼女は遂に言った。「私はいつも主人を取り巻いている危険を感じていました。主人はそれについて、私には話をしませんでした。それは私を信用していないからではありません。夫婦の間には完全な愛と信頼がありました。そうではなくて、私が心配するような事は何も言いたくないと思っていたのです。主人は、私がもしすべてを知れば、ずっと頭からそれが離れないと考えたために、黙っていたのです」

「では、どうして分かったのですか?」

ダグラス夫人は明るく微笑んだ。「夫が秘密をずっと隠し続けているのに、愛する女性がまったく怪しく思わないなどという事があり得るでしょうか?夫がアメリカでの生活で起きた出来事を話したがらないので、分かりました。夫がはっきりとした用心をするので、分かりました。夫がふと漏らした言葉で分かりました。夫が不意に余所者を見たときの態度で分かりました。私は、夫は何か強力な敵が後を追って来ると信じ、常にそれに対して備えていたと確信しています。私はそれが分かっていたので、何年間も、彼の帰りが予定より遅くなった時は、不安に怯えていました」

「ちょっとよろしいですか」ホームズが尋ねた。「あなたが気になった言葉とはどんなものですか?」

「恐怖の谷」女性は答えた。「私が問いただした時、夫が言った言葉です。『俺は恐怖の谷にいた。まだそこから抜け出ていない』、『私たちは恐怖の谷から抜け出す事はできないの?』私は夫がいつもより深刻そうなのを見てこう尋ねました。『時々、絶対に抜け出せないと思うことがある』夫は答えました」

「当然、恐怖の谷とはどういう意味かお訊きになったでしょうね?」

「訊きました。しかし夫はとても深刻な顔をして、首を振るばかりでした。『片方だけがその影に覆われただけでも大変なことなんだ』夫は言いました。『決してお前の身に降りかからないよう、神に祈る!』それはどこか実在の谷でした。そこで主人は生活したことがあり、主人の身に何か恐ろしい事が起きた、これは間違いありません。しかしそれ以上のことは分かりません」

「ご主人は誰かの名前を話しましたか?」

「はい。夫は三年前、狩猟中に事故に遭い、熱を出して錯乱状態になりました。その時私は、夫がずっとある名前をつぶやいていたのを覚えています。それを口に出すとき、夫は怒りと恐怖の交ざった表情をしていました。その名前はマギンティです、 ―― マギンティ支部長。私は夫が回復した時、マギンティ支部長とは誰なのか、そしてどんな団体の長なのかを尋ねました。『ありがたいことに、俺の長じゃないな!』彼は笑って答えました。これだけしか聞き出せませんでしたが、マギンティ支部長と恐怖の谷にはきっと何か関係があります」

「もう一つ別の点をお訊きしたい」マクドナルド警部は言った。「あなたとダグラス氏はロンドンの下宿屋で出会って、婚約したのでしたね?結婚に際して、恋愛事件や、秘密にしていた事や、謎がありましたか?」

「恋愛はありましたよ。結婚にはつき物です。謎はありませんでした」

「彼に恋敵はいなかったのですか?」

「ええ。私は誰とも付き合っていませんでした」

「もちろん、結婚指輪が取られたことはお聞きですね。これで何か思い当たる事はありますか?彼の過去の人生の敵が、居場所を突き止めてこの犯罪を実行したとすれば、その男がご主人の結婚指輪を取った理由として、何か考えられますか?」

その一瞬、間違いなく女性の口元にほんの僅か、微笑のようなものが浮かんだのに、私は気づいた。

「まったく分かりません」彼女は答えた。「本当に奇妙な事です」

「それでは、もうお帰りになって結構です。こんな時にわざわざおいでいただいて申し訳ありません」警部が言った。「きっと他にも訊きたい点があると思いますが、そういう場合はまたお呼び致します」

彼女は立ち上がった。そして私はまた、我々を見極める素早く問いただすような視線に、気づいた。「私の証言でどんな印象が残ったでしょうか?」まるでそう口に出して尋ねているのも同じだった。それから、一礼すると、彼女は部屋からさっと出て行った。