コンプリート・シャーロック・ホームズ
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「この河に浮かんでいるものは、何でも捕まえられるはずだな」彼は言った。

「まあ、そこまではちょっと。しかしこの船を負かす船はそう多くないと思いますよ」

「オーロラ号を捕まえる必要がある。あの船は高速艇で有名だ。君に状況を説明しておこう、ワトソン。君は僕が本当に小さな事で妨げられて、どれほどイライラしたか覚えているだろう?」

「もちろん」

「僕は一つの化学実験に没頭する事で自分の心を完全に休ませた。我が国の最も偉大な政治家の一人が、仕事を変えるのが一番の休息だと言っている。まったくその通りだ。僕は目的の炭化水素の分解に成功した後、ショルトの事件に戻った。そして事件全体をもう一度考え直した。少年達は河の上流も下流も探した。しかし成果は得られなかった。あの船はどの波止場にも桟橋にもいなかった。戻ってきてもいなかった。跡を消すために沈めたというのはちょっと考えられなかった。もちろん、もし他のすべてが消えれば、いつでも可能性のある仮説として残しておくべきだろうが。このスモールという男がある程度、浅知恵を使うというのは、分かっていた。しかし僕は彼が繊細な策略みたいなものを練る能力があるとは考えなかった。それはほとんどの場合、高度な教育の賜物だ。僕はそれからよく考えてみた。彼は確かにロンドンに長い間いたはずだ。彼がポンディシェリ・ロッジをずっと監視し続けていたという証拠があることから、これは間違いない。彼は到底そのまま逃走することは出来なかったはずだ。身辺を整理する必要があるので、たとえ一日だけでも、時間が必要だったに違いない。いずれにしても、そう考えるのが蓋然性の優位だ」

「それはちょっと説得力がないように思えるな」私は言った。「財宝探しに出かける前に、身辺を整理していたという方がもっと可能性が高いんじゃないか」

「いや、そうは思えない。隠れ家は、彼にとっていざという時身を隠すために貴重なものだ。それがなくても、もう大丈夫だと確信するまでは、手放すことは出来なかったはずだ。しかし僕は別の考えが突然浮かんだ。どれほどひた隠しにしていたとしても、仲間の奇妙な外観は、噂になりかねない。ジョナサンスモールは、もしかするとこの噂が、ノーウッドの惨劇に関係付けられるかもしれないと感じたに違いない。彼はそれを理解するくらいの鋭さはある。彼らは隠れ家から暗闇にまぎれて出発した。そして明るくなるまでに戻って来たいと思っただろう。さて、スミス夫人によれば、彼らが船に乗った時刻は、三時過ぎだった。すぐに夜が白んできて、一時間もたてば人が活動を始めただろう。このことから僕は、彼らがそう遠くには行っていないと判断する。彼らはスミスにたんまり報酬を支払って口封じをし、最後の逃走をするために船を予約した。それから、宝箱を持って隠れ家に急いだ。彼らには、新聞がどういう見解をとっているか、そして何か疑いがかかっていないかを確認する時間が二日あった。彼らは闇にまぎれてグレーブゼンドかダウンズの船へ向けて出発するだろう。間違いなくすでにアメリカか他の植民地へ向かう手筈を整えているはずだ」

「しかし船は?隠れ家まで船を持っていけるわけがない」

「その通り。僕は船が見つからないにも関らず、そう遠くに行ったはずがないと判断したわけだ。僕は自分をスモールの立場に置き、彼の能力程度の人間として状況を見てみた。おそらく、万一警察が彼らを調べ始めるようなことになれば、船を元の場所に戻したり、桟橋に置いておけば、簡単に足がつくと考えただろう。ではどのようにして、必要なときにはすぐに使えるようにしながら、船を隠す事ができたか。僕はもし自分が彼の立場ならどうするだろうと考えた。僕にはこれを実現する方法は、一つしか思いつかなかった。僕なら船をどこかの造船所か修理工場に引き渡し、ちょっとした改造をするように指示しただろう。そうすれば、船は作業工場か造船所に運ばれて、うまく隠すことができる。同時に、数時間前に連絡すれば使う事が出来るだろう」

「単純な話のようだな」

「こういう非常に単純なことは、かえって見過ごされやすいのだ。しかし僕はこの考えの元に、行動を起こすことを決めた。僕は直ちにのんきな船員の装いで、すべての造船所を川下に向かって調査した。外れクジを15枚引いた。しかし16番目に、 ―― ジェイコブソンのところで ―― 、僕はオーロラ号が彼らの手元にあるのを見つけた。二日前、木の義足の男が舵にちょっとした注文をつけて引き渡していた。『舵に問題は全くありませんね』現場監督が言った。『そこにあります。赤い線のやつです』その瞬間、行方不明になっている船主のモーディカイ・スミスがやってきた。彼はかなり酒に酔っていた。僕はもちろん、彼の顔は知らなかった。しかし彼は自分の名前と船の名前を怒鳴るように言った。『今夜8時に取りに来る』彼は言った。『8時きっかりだ。分かったな。待たしちゃいけない紳士が二人いるんで』犯人たちは明らかにこの男に報酬をはずんでいた。なぜならスミスは非常に羽振りがよく、作業員にシリング硬貨を投げていたからだ。僕は彼を少しつけたが、居酒屋に入って行ったので、造船所に戻った。そして偶然、途中で僕が雇った少年の一人と会ったので、僕は彼を船の見張りにつけさせた。少年は川辺に立って船が出た時、合図としてハンカチを振る事になっている。我々は川の上で待ち構える。もしこれで、犯人、財宝、全てを確保できないとすれば、間抜けな話だ」

「あなたは何もかも、見事に準備しましたね。彼らが真犯人かどうかは別にして」ジョーンズは言った。「しかしもし、私が監督していたとすれば、ジェイコブソンの造船所に警官を多数配置して、彼らが来たところを逮捕します」

「それは絶対にうまくいかないよ。スモールという男はかなり抜け目のない男だ。彼はあらかじめ偵察を送り、何か怪しいと感じれば、もう一週間身を潜めているだろう」

「しかしモーディカイ・スミスを尾行し続けて、犯人の隠れ家を突き止めればよかったんじゃないか」私は言った。

「そうしていたら、僕は一日無駄にしていただろうな。僕はスミスが犯人の居場所を知っているのは百対一の確率だと思う。酒があり、いい報酬があるかぎり、なぜあれこれ詮索する必要がある?犯人たちは伝言を使って、スミスに指令を送っている。だめだ。僕は可能な手段を全て検討した。結果的に、これが最善策だ」

こういう話をしている間に、船はテムズ川にかかる長い橋を次々と矢のように抜けていた。シティを越えた時、太陽の最後の光が、セント・ポール寺院の頂にある十字架を金色に染めていた。ロンドン塔に到着する前にたそがれ時が始まっていた。