コンプリート・シャーロック・ホームズ
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書斎の扉はテラスに直接つながっていた。フォン・ボルクはそれを押し開けて先に入り、電灯のスイッチをカチリとつけた。彼はその後、続いて入ってきた大きな客人の後ろで扉を閉め、格子窓にかかった分厚いカーテンを慎重に手直しした。こういう用心をし、それを再確認してやっと、彼は日に焼けた鷹のような顔を訪問者に向けた。

「書類の一部はすでに持ち出しています」彼は言った。「妻と従者が昨日フリシンゲンに出発したとき、重要性の低いものを持っていきました。もちろん残った物に対しては大使館の庇護を要請しなければなりません。

「君の名前はすでに個人随行員の一人として登録されている。君や君の荷物がややこしいことになることはないだろう。もちろん、持ち出す必要がなくなるという可能性はある。イギリスはフランスを見捨てるかもしれない。拘束力のある協定が両国間にないことははっきりしている」

「しかし、ベルギーは?」

「そうだな、ベルギーもだ」

フォン・ボルクは首を振った。「どうしてそんなことができるかわかりませんね。はっきりした協定が結ばれているんですよ。こんな不面目からは決して立ち直ることができない」

「少なくとも、束の間の平和が得られるさ」

「しかし国の名誉は?」

「チッ、君、我々は功利的な時代の人間だ。名誉というのは中世の考えだ。それにイギリスは準備ができていない。考えられんことだが、500万マルクの特別戦時税でさえそうだ。これで、あたかもタイムズの一面に広告を打ったようにはっきりと我々が決意を表明したと考えてもよさそうなのに、この国の人間がまどろみから目覚めることはなかった。あちこちで疑問がでている。それにうまい答えを見つけるのが私の仕事だ。また、あちこちで苛立ちがある。それをなだめるのが私の仕事だ。しかし保証してもいいが、戦需品に関するかぎり、・・・・軍需品の備蓄、潜水艦攻撃に対する備え、高性能爆薬の準備、・・・・何も用意が出来ていない。これで、どうしてイギリスが介入できるんだ。特に我々が、アイルランド内紛*のような悪魔の企みや、窓をぶち割る女性社会政治組合*、その他、イギリスが自国のことで手一杯になる諸々の事情でイギリスを混乱させている時は無理*というものだ」

「イギリスは自国の未来を考えなければいけないでしょう」

「ああ、それはまた別の話だ。想像だが、将来、ドイツはイギリスに対して非常に具体的な作戦を立案することになる。そして君の情報はドイツにとって非常に重要なものになるだろう。イギリス人にとって現在か未来かということだ。もしイギリス人が現在をとるならドイツは完全に用意ができている。もし未来をとるならドイツはなお一層準備ができるに違いない。私はイギリスは同盟国と一緒に戦う方が単独で戦うより賢いと思う。しかしこれはイギリス自身の問題だ。今週は運命の一週間だ。しかし君は自分の書類の話をしていたんだったな」彼は大きく禿げ上がった頭をてからせ、悠然と葉巻を吸いながら肘掛け椅子に座っていた。

大きな樫の板張りの、本がいっぱいの部屋には、突き当りの隅にカーテンがかかっていた。それを引くと、大きな真鍮張りの金庫が現れた。フォン・ボルクは懐中時計の鎖から小さな鍵を外し、錠のところで非常に面倒な操作をした後、重い扉を開けた。

「ご覧ください!」彼は脇に寄り、手を振って言った。

開いた金庫の中に光が煌々と差し込んでいた。そして大使館の書記長は金庫に備え付けられた、あふれかえるような整理棚を息を飲んで興味深そうに見つめた。それぞれの整理棚にはラベルがあり、そこには、題名が長い列を成していた。「浅瀬」「港防衛」「航空機」「アイルランド」「エジプト」「ポーツマス要塞」「イギリス海峡」「ロサイス*」そしてこれ以外にも、たくさんのラベルがあり、それぞれの区画には書類と見取り図が立ち並んでいた。

「壮観だな!」書記長が言った。葉巻を置き、彼はそっと太った手を叩いた。

「四年間の集大成です、男爵。大酒飲みで荒っぽい馬乗りの地方郷士にしては悪くないでしょう。しかし私のコレクションの最高の部分はこれから入手予定で、その準備は全部できています」彼は「海軍暗号」と書かれた上の空間を指差した。

「しかしすでに十分調査済みだろう」

「期限切れで紙くず同然です。海軍本部はどういうわけか危険を察し、全ての暗号を変更しました。これは痛手でした、男爵、 ―― 私の作戦全体の中で最も痛い挫折でした。しかし私の小切手帳と素晴らしいオルタモントのおかげで、今夜すべて解決するでしょう」

男爵は時計を見て、がっかりしたような太い叫び声をあげた。