コンプリート・シャーロック・ホームズ
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「もし事態が重大局面を迎えれば、私はなんとしても自分で行かなければなりません。しかし私は手広く相談業をやっていますので、いろんな方面からひっきりなしに依頼がやって来て、ロンドンを無期限で留守にはできないという事情をご理解ください。ちょうど今も、イギリスで最も尊敬されている方々が、恐喝者に家名を汚されようとしており、破滅的なスキャンダルを阻む事が出来るのは、私をおいて他にはおりません。ダートムーアに行きたくとも行けないのは、ご理解いただけるでしょう」

「では誰かいい人を紹介してもらえませんか?」

ホームズは私の腕に手を置いた。

「もしこちらの友人が引き受けてくれたら、困難な状況にある時、これ以上、そばにいて心強い人物はおりません。私は他の誰よりも確信を持って、このように申し上げる事ができます」

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私はこの申し出に虚をつかれた。しかし返事をする間もなく、バスカヴィルは私の手をとって暖かく握り締めた。

「それは、本当に有難いことです、ワトソン博士」彼は言った。「あなたは私の事をご存知ですし、この事件についても同じようによく知っている。もしバスカヴィル館まで来て下さって、危険を切り抜けさせていただければ、このご恩は決して忘れません」

私は、冒険が期待できそうな状況にはいつでも興味を示してきたし、ホームズの言葉と、バスカヴィル準男爵が私を同伴者として熱心に歓迎するのに、ほだされた。

「喜んでご一緒しましょう」私は言った。「これ以上素晴らしい仕事は他にありません」

「細かく報告をしてくれ」ホームズは言った。「もし重大な局面がくれば、 ―― きっと来るだろうが ―― 、僕は君がどのように行動するか指示する。皆さんは、土曜までに出発の準備ができますか?」

「ワトソン博士はそれで構いませんか?」

「もちろんです」

「では土曜日で決まりですね。何か別の連絡がない限り、パディントン駅10:30発の列車で落ち合うことにしましょう」

私とホームズが失礼しようと立ち上がった時、バスカヴィルは勝ち誇ったように叫び、部屋の隅に突進すると、棚の下から茶色の靴を引っぱり出した。

「無くなっていた靴だ!」彼は叫んだ。

「あらゆる困難がこれほど容易に消滅せんことを!」シャーロックホームズが言った。

「しかしこれは非常に奇妙な事です」モーティマー博士が言った。「私はこの部屋を昼食前、入念に探したのです」

「私も同じです」バスカヴィルは言った。「隅から隅まで探しました」

「その時には間違いなく靴はなかった」

「という事は、私たちが昼食をとっている間にウエイターがそこに置いたに違いない」

ドイツ人ポーターが呼ばれたが、彼はこの件については何も知らないと言い張った。そして他の調査でもはっきりしなかった。こんなにも短い間に次から次へと沸き起こる、意味不明の小さな謎の連続に、また一つ新たな謎が加わった。サー・チャールズが死んだ恐るべき事件については除くとしても、この二日間に説明のつかない一連の出来事が起きた。例えば、活字を使った手紙が来た事、馬車にのった黒い顎鬚の追跡者、新しい茶色の靴の紛失、古い黒い靴の紛失、そして新しい茶色の靴が返って来た事だ。ホームズはベーカー街に戻る時、辻馬車の中で、無言のまま座っていた。しかし私は彼の引き寄せられた眉と鋭い顔つきから想像がついた。彼は私と同じように、このお互いに無関係に思える奇妙な出来事が、全部きちんと説明できる理論を何か構築できないかと、必死になっていたのだ。午後いっぱいから夜になるまで、彼は座って煙草を吸いながら一心に考え込んでいた。

夕食の直前になって二通の電報がやって来た。最初に来たのはこれで

バリモアは館に居るとのこと
バスカヴィル

二通目はこれだった。

指示どおり23のホテルを訪ねたが、残念ながらタイムズの切抜きの手がかりなし
カートライト

「手がかりの糸が二本切れたな、ワトソン。打つ手がことごとく失敗する事件ほど刺激的なものはないな。別の手がかりを探さなければならないか」

「まだ追跡者を乗せた御者がいる」

「その通り。登録所から名前と住所を教えてもらえるように電報を打っている。もしあれが僕の問い合わせに対する回答でも不思議じゃないな」