コンプリート・シャーロック・ホームズ
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警察はアマチュアが介入したことに腹を立てたのかもしれないし、何か望みのありそうな捜査方針を自分たちで立てたのかもしれない。はっきりしているのは、警察からの連絡は次の二日間全くなかったことだった。この間、ホームズは家で煙草を吸いながらぼんやり過ごす事もあったが、ほとんどの時間、彼は一人でこの地方のかなりの部分を歩きまわり、長い時間たって戻ってきたが、どこに行っていたかについては何も言わなかった。ひとつの実験で私に彼の捜査の方向が分かった。彼は惨劇が起きた朝モーティマー・トレゲニスの部屋で燃えていたものと同じランプを買ってきていた。彼は司祭の家で使われているのと同じ油をこれに入れ、慎重にそれが燃え尽きる期間を計測した。彼が行ったもう一つの実験はもっと不愉快な性質で、そして私が永遠に忘れられないようなものだった。

「覚えているだろうが、ワトソン」彼はある午後言った。「我々に届いたさまざまな報告の中に一つの類似点がある。それは、どちらの事件でも、最初に部屋に入った人間に対して部屋の空気が害を及ぼしたことだ。君は、モーティマー・トレゲニスが、最後に兄弟の家を訪れた時の事を話した際、部屋に入った医者が椅子に倒れこんだと言ったのを、覚えているだろう。忘れた?ともかく、僕はそれを覚えている。ここで、家政婦のポーター夫人が部屋に入った時、彼女も気を失い、その後で窓を開けたと語った事も記憶にあるだろう。二番目の事件で、 ―― これはモーティマー・トレゲニス自身が死んだ事件だ ―― 君は部屋に入った時、使用人がすでに窓を開けていたにもかかわらず、恐ろしく息苦しかったのを忘れようがないだろう。後で調べると、その使用人は、非常に気分が悪くなって寝込んでいた。ワトソン、こうした事実が非常に暗示的だということは認めるだろう。どちらの事件でも有毒な空気が存在していた証拠がある。その上、どちらの事件でも部屋の中で何かが燃えていた、 ―― 一つの事件では暖炉で、もう一つではランプだ。暖炉は必要なものだった。しかしランプがともされたのは、 ―― 油の消費を比較すれば分かるが ―― 明るくなって、かなり時間が経ってからだ。なぜだ?明らかにこの三つに何か関連がある、 ―― 燃焼、息苦しい空気、最後に、不幸な人間の狂気か死。これは明白だろう?」

「そのようだな」

「少なくともこれを作業仮説として採用しても構わないだろう。では、こう仮定しよう。両方の事件で何かが燃やされ、それが奇妙な毒性の効果を持つ蒸気を発した。結構。最初の事件で、 ―― トレゲニス家族のものだが ―― 、この物質は暖炉に入れられた。その時窓は閉まっていたが、言うまでもなく、暖炉の場合、相当量の煙が煙突から逃げたはずだ。したがって毒の効果は蒸発物がより逃げにくい二番目の事件より弱いと予想できるだろう。結果から見て、まさに事実がその予想を裏付けているように思える。最初の事件では女性だけが、 ―― 彼女はおそらく最も影響を受けやすい体だった ―― 、死んだ。他の二人は一時的か永続的かの狂気を発した。これはどうやら薬の最初の効果らしい。二番目の事件では結果は完璧だった。したがって、事実関係は、燃焼によって働く毒という理論を支持しているように思える」

「僕は頭の中でこう推理していたので、自然にモーティマー・トレゲニスの部屋であたりを見回して、この物質の残りを探そうとした。当然探すべき場所は、ランプの雲母のカバーか煙よけだ。そこに、思ったとおり、僕はたくさんのパサパサした灰と、そして周辺部の端には茶色い粉を見つけた。それはまだ燃焼していなかった。君も見ていたはずだが、僕はその半分を取り封筒に入れた」

「なぜ半分だ?ホームズ」

「僕は公的警察の邪魔をするのは遠慮したい、ワトソン。僕は彼らに自分が見つけた証拠を全部残しておいた。もし彼らにそれを見つける才覚があれば毒はまだ雲母の上に残っている。さあ、ワトソン、ランプに火をつけよう、しかし、価値ある社会の一員が二人、早世するのを避けるために、用心して窓を開けよう。賢明な人間なら当然断るだろうが、もし君がこんな事には関りたくないと決心しているのでなければ、そこの開いた窓近くの肘掛け椅子に座ってくれ。ああ、やってみるか?僕の知っているワトソンならそうすると思ったよ。この椅子を君の反対側に置こう。向かい合わせになって毒から同じ距離になるように。扉は半分開けておこう。これでお互いに相手を観察できる位置になり、症状が危険な場合にはこの実験を中止することができる。質問はないか?よし、では、封筒から粉を取り出す、 ―― というよりその残りだが ―― 、そして燃えているランプの上に置く。さあ!これで、ワトソン、座って展開を待とう」

それが起こるのに長い時間はかからなかった。ほとんど腰をおろす前に、私は何ともいえない不愉快な濃いジャコウのような臭いに気づいた。そしてそれを最初に一嗅ぎするや、私の頭と想像力は制御不能になった。分厚い黒い雲が目の前で渦を巻き、そして、何も見えないがその雲の中に、私の怯えた心へ今にも飛び出そうする、正体不明の恐ろしいもの、・・・・あらゆる、宇宙中の奇怪で想像もつかない邪悪が潜んでいると、私の心が自分に語りかけた。あいまいな形をしたものが暗い雲の塊の間を回り泳いだ。その一つ一つが、何か言葉にできない物体が玄関口に現れて、その影が私の魂を吹き飛ばすだろうと脅し警告を発した。凍りつくような恐怖が私を占拠した。毛が逆立ち、目が飛び出し、口が開き、舌が革のようになるのを感じた。頭の中の混乱は、間違いなくどこかが、はじけ飛んだようだった。私は叫ぼうとし、しわがれたカエルの鳴き声のような音が自分の声だとぼんやりと気づいたが、それは自分自身から遠く離れて聞こえた。ここから逃れようと必死に努力していた、その一瞬、私は絶望の雲を打ち破り、ホームズの顔がちらりと見えた。真っ青で、硬直し、恐怖に引きつった、・・・・私がそれまで見た死人の表情にそっくりの顔つきだった。私に一瞬正気と強さを与えたのはその光景だった。私は椅子を蹴って駆け出し、ホームズの体に手をかけると、一緒によろめきながら扉を抜け、次の瞬間、私たちは草地の上に体を投げ出し、並んで横たわっていた。締め付けられていた恐ろしい地獄の雲を突き抜けて、明るい太陽の光がさんさんと降り注いで来る事だけが感じられた。大地から霧が晴れるように、雲が心からゆっくりと消え、平穏と理性が戻ってきた。そして私たちはべとべとする額をぬぐいながら、草の上に座り、自分たちが味わった恐ろしい体験の余韻が残っていないか、お互いを心配そうに見ていた。

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「これはたまげた、ワトソン!」ホームズは遂に動揺した声で言った。「君に感謝と謝罪の両方を言わなければならない。これは僕一人でも許される実験ではなかった。そして友人を巻き込むとは二重に間違っていた。本当にすまない」

「知っているだろう」私はホームズのこれほどの思いやりを見たことがなかったので、ちょっと感動して言った。「君を助けるのが私の一番の喜びであり名誉なのだ」